「近代の結婚」を構成してきた要素が魅力やメリットを失っているのも事実だろう。一夫一婦制(婚外性交渉の禁止)、婚姻届の提出(片方の改姓が必要な法律婚)、残存する家意識(妻が夫の家に「嫁」に入る)、同居の強制(生活が変わる)、姻戚関係(互いの家族とのつきあい)、性別役割分業(夫が一家の経済を支え、妻が家事育児の一切を担当する)、恋愛結婚至上主義(結婚は恋愛の結果でなければならないという呪縛)。重い。重すぎる。それなら今のほうが楽でいいや、と。恋人同士が結婚に踏み切る動機は、だから現実的なのが多い。わかりやすいのが「できちゃった婚」である。現在の日本では、法律婚をするカップルの四組に一組が「でき婚」だ。ことに女性が十代の場合は八一%、二〇〜二四歳では五八%が「でき婚」である(「第一二回出生動向基本調査」二〇〇三年)。ブライダル業界ではこれを「おめでた婚」と呼んでいる。一方では十代の妊娠中絶率も上がっている以上、軽々にはいえないが、かつての「でき婚」について回った後ろめたさやふしだら感がかなり払拭されたのは事実である。ただ、女性が十代で結婚した場合の離婚率は五八・四%、二〇〜二四歳の離婚率は四二・五%である(厚生労働省「人口動態統計」二〇〇三年)。「でき婚」の二人に一人は離婚する。おそろしい統計である。結婚にしがみつく理由も、すでに失われているのだ。この先、結婚の二極化がますます進むように思う。子どもなしの事実婚を選ぶ高学歴・高所得層と、若年の「でき婚(のち離婚)」に流れる低学歴・低所得層と。
たとえば見合いで出された食事は、なんとかつつがなく終えることができたとする。だがホッとするのは早い。最後にけっこう難関が控えているのだ。会席料理のお品書きの最後に「水菓子」とあれば、これはデザートのフルーツで、それが難関なのだ。日本料理の作法どおり、必ず箸のかわりになる楊枝やフォークが添えられてくるはず。そのために小さく切り分けてあるが、最近はマスカットのようなものが出されることもあり、そのときは手を使ってかまわないとされる。メロンやスイカは舟形のカットのことが多く、これは右端から食べていく。小さく包丁目が入っていれば、左手は皿に軽く添えるくらいにして、切れ目がなければ皮の部分に手を添えて押さえたほうがいい。種のある果物は、種を出すとき懐紙を口元に運んでそれに受け、あとは折りたたんで隠すが、これはそのまま皿の上に置いてきてかまわない。皮ごと口に入れなければならない小さなブドウも、皮は懐紙で隠しておきたい。ミカンの皮も同じである。
電話をとるときに、利き手と反対側の手で受話器をとり、同時に利き手でメモの用意をすること。電話とメモとはセットの行動だ。会社の電話は外線と内線で呼び出し音を変えているところが多い。きちんと聞き分けて、出るときの言葉を使い分けるとスムーズだ。外向けのあいさつは、「はい、○×社営業部でございます」と、会社名と部署名を名乗る。社内からかかってきた内線には、社名を名乗る必要がないのは当たり前。相手は部署内の誰かに用事があってかけてきているのだから、「営業部です」「営業部○○です」など、部署名か、部署名プラス個人名で出ればいい。ビジネスは効率アップが至上命題。内線にまで「○×社営業部でございます」などと悠長に出ているのは時間がもったいないし、相手をイライラさせることもある。仕事は小さな工夫の積み重ね、できることから効率を上げていこう。