日本の映画の密輸が始まると、たちまち人気上昇。テントの映画館が次々と現れ、映画ブームと化す。興行者は団体で米軍を説得し、1954年には正規のルートでの日本映画の興行がスタート。同時に洋画も入ってきた。この頃からヒーローは沖縄芝居のスターから全国共通の銀幕のスターに移行。芝居用の劇場でも映画が上映されるようになった。人々は坂東妻三郎、高峰秀子、原節子といった映画の美男美女スターたちに熱狂。当時、際立つ美男美女のいなかった沖縄芝居は劇場から締め出されていった。人のないところに映画館をつくっても大盛況だったそうだ。人が集まれば商売人も集まり、そして町がつくられていく。例えば『アーニーパイル国際劇場』の前に道が整備されてついた名前が「国際通り」となり、「奇蹟の1マイル」といわれるほどの繁華街になった。近くにできた『沖映』から「沖映通り」、『国映館』のそばには「浮島通り」ができた。『桜坂オリオン』のあった通りには桜の並木が植えられ、「桜坂」と名づけられた。その後、桜坂の木はすぐに枯れてしまったが、「桜坂」の名はそのまま残っている。こうして那覇の町は映画館が基になって形づくられていったのである。しかし、内地より6年遅れたものの、1959年にテレビが登場。映画館は大打撃を被った。電気屋の前には人々が群がり、力道山のプロレスも見られたようで、沖縄にも興行に来たことがあるらしい。
要するに村上に着いた編成がそのまま夜を明かし、翌朝の821Dになる運用ダイヤだ。食事の調達は、酒田駅前のスーパーが店じまいしてしまったため、駅のコンビニと立食ソバだけが頼り。食事が済んだら、はっきりいってやることがない。窓の外はすでに真っ暗で、日本海も灯りも、ほとんど見えない。すると自然に眠たくなってくるのだが、村上で「ムーンライトえちご」への乗り継ぎ時間は6分。寝過ごさないようにしよう。金沢・長野から長岡へのイン北陸・長野からの乗り継ぎは、下りの逆をたどる形だ。長野からは快速「信越リレー妙高13号」、金沢からは365Mで直江津へ。各車両とも下りと同様なので省略する。そして、直江津から1365Mに乗り換えて、長岡へ。長岡では2時間足らずの待ち時間で、上り「ムーンライトえちご」がやってくる。そこでヒマを持て余すのがいやなら、22時51分発の新潟行き463Mに乗り、新津まで「えちご」を迎えにいくといい。新津ではちょうど隣に「えちご」が停車しているので、冬でも凍えることなくスムーズに乗り換えできる。
カフェといえば、パリ、ウィーン、ヨーロッパ。歩き疲れたときカフェに立ち寄りましょう。カフェはどこでも優しくあなたを迎えてくれます。注文も難しくない。値段も高くない。情報も入るしね。「(1)コーヒーを飲みながら、絵葉書を書く(2)コーヒーを飲みながら、文庫本を読む(3)コーヒーを飲みながら、街ゆく人をながめる」日本でいちばんパリに似ている場所、それは表参道のアニヴェルセル表参道のカフェ。そこはまるでパリ。冬は、外の椅子にも、窓側の席にも赤いひざ掛けが用意してあります。さて、ヨーロッパのカフェでは、少しおなかがすいたらサンドイッチや軽い食べ物を注文してみましょう。パリでぜひ試していただきたいのが「ジヤンボン」。フランスパンの中に、ハムとチーズがはさんであるものです。カフェ・オーレとジヤンボンで、あなたもパリジェンヌ?